隈山 ガランドヤ古墳 日田






星隈・日隈を実現させる唯一の場所、隈山

星隈の「星」が北に見える最も重要な天体・北極星を、日隈の「日」が日の出を意味するならば、これらを正確に、しかも同時に実現させるのは隈山だけです。

三角形の頂点に位置する隈山の頂上では、祭祀跡とみられるものが見つかっています。丘の形も頂上形態も、隈山と三隈三丘には共通する点が多いことから、聖地と言われたきた三隈三丘でも、同様の祭祀が行われていたのかもしれません。

もしも隈山がヒサツヒメの墓であれば、すなわち神の山であり、死後も日田を守る力が続くと信じられたことでしょう。





日田 三隈





日田の1−3世紀

神である女王ヒサツヒメと、呪術師の女王のものとされる金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、共に1−3世紀と推測されています。金銀錯嵌珠龍文鉄鏡は、神で女王だったヒサツヒメが作らせ、使っていたものと推測しても違和感はありません。

隈山は長径172m、高さ20mの巨大な墳墓で、それによって出現したさらに巨大な三角形も、神で女王だったヒサツヒメのアイデアかもしれないと思うのは、私だけではないでしょう。

古代では、大きな墓は身分の高さと権力の象徴で、ほとんどの巨大墓は王自身が計画し、生前に造り始めました。

自分は神であると豪語した女王ヒサツヒメであれば、自分の墓は他を圧倒する大きさでなければならないと思ったに違いありません。

いずれにせよ1−3世紀の、この女王の時代は、日田の歴史上最も特別な時代であったことは間違いありません。






九州の巨大古墳

宮崎県 女狭穂塚古墳 前方後円墳 墳長176m 後円部高さ15m
宮崎県 男狭穂塚古墳 前方後円墳 墳長167m 後円部高さ18m
鹿児島県 唐仁大塚古墳 前方後円墳 墳長154m 後円部高さ10m

北部九州で最大の古墳は、福岡県の岩戸山古墳(前方後円墳)で墳長135m, 後円部高さ18mです。




隈山






2012年4月16日・5月11日

隈山の北西の外側から、高さ7m以上と思われる石組みを確認しました。それより上は木の枝で見えませんでした。石は大中小さまざまな大きさで、写真右下の石は、そばを流れる筑後川に転がっている、角のとれた石によく似ています。

北−東側でも、土から露出した石組みを確認しました。自然の溶岩壁と思えるものは全く見られなかったことから、隈山は人工の築造物と思われます。

ガランドヤ古墳のある南西側は砂礫を含む土の斜面のようで低木や草が生い茂っており、現在その中腹から頂上は一般の墓地として使用されています。

日田盆地は7300年前に降った火山灰・アカホヤに地表を覆われてしまったため、水田には粘土質の土を、畑にはそれぞれの植物に適した土を山から運び込んで、現在の美しい田園風景となっているそうです。また大正〜昭和時代の鉄道敷設工事では線路の盛土に困り、付近の塚の盛土を大量に削り取った時に、ダンワラ古墳やガランドヤ古墳が発見されました。

隈山付近には筑後川の洪水によってもたらされた砂礫や土砂の堆積があるものの、巨石の固定や年月・洪水に耐える土台を造るためには、相応の粘土質の土を山から運び込まなければならなかったと推測されます。


















昨今、隈山について、三隈三丘と同じ自然の溶岩残丘であるという記述が見られることから、日田盆地に関する文献や神話・伝承を調べましたが、日田盆地の残丘は三隈三丘の3つと書かれたものばかりで、4つの丘という記述は見当たりませんでした。




隈山






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