日田の金山




近代の日田郡に存在した金山





現在の日田市は、古代の日田郡とほぼ同じ範囲となっています。この地域には金鉱脈が多数あったことから、古代も金を採掘する大変豊かなクニであったと推測されます。

日田の金山で最も有名なのは、鯛生金山です。この金鉱山の昭和初期の金産出量は東洋一で、日本最大の金山と言われ、またこの鯛生金山を中心として県境に沿った地域には、日田郡南部金山地帯が存在しました。

金山が多い、その津江地域には、古代から多数の村が存在していたようで、豊西記・矢野家伝には神武天皇(紀元前711年)の時代の津江の老松の伝承があります。

豊後国風土記の注釈書・箋釈豊後風土記には、石井村地方と津江荘を含めて石井郷と総称していたと書かれ、豊後国志では、日田郡の津江荘は11村となっています。 (日田郡の文化財 昭和56年 大分県教育委員会)

日田郡に存在したとわかっている金山は以下の17です。






近代の日田郡に存在した金山

1 日田郡 小野村  照国鉱山
2   〃 玉来鉱山
3   〃 小野鉱山
4 小野村・大鶴村 大鶴鉱山
5 中川村 赤岩鉱山
6 前津江村 天狗岩鉱山
7   〃 柚木鉱山
8   〃 中島鉱山
9 中津江村 金光鉱山
10   〃 岩崎鉱山
11   〃 殿尾鉱山
12   〃 大分鉱山
13   〃 鯛生鉱山
14 上津江村 上津江鉱山
15   〃 上野田鉱山

大分県の地質と地下資源 昭和26年 大分県総務部企画調査課


上記の他に、小竹村(小野村内)と鶴河内村(大鶴村内)の2つの金山がすでに廃坑となっていると、1734年の千原氏覚書に記載有り

大分県地下資源史考 大分県総務部企画調査課


また豊西記矢野家伝に記された古代の日田郡は、隣接する山国町(2005年より中津市)も含まれています。山国に存在したと確認されている金山は、鯛生溝部鉱山、金鉢鉱山、彦山鉱山、明賀野鉱山、旭鉱山、草本鉱山の6つで、日田郡+山国では合計23となります。






古代の日田郡





前述の箋釈豊後風土記に書かれた、「石井村地方と津江荘を含めて石井郷と総称」は、大変興味深い記述です。なぜならば、隈山は石井村にあるからで、石井の支配者は金山のある地域を持っていたということになります。逆も成り立ちますが。

地図を見ると日田盆地西南の石井と津江はかなり離れています。ふつうであれば別の郷であったはずです。日田盆地のほんの一部の小さな村と、離れた広大な津江地域が1つの郷であったことは、金山の所有・管轄権の問題があったからでしょう。石井郷が大和朝廷に抵抗して土蜘蛛と呼ばれていたのも頷けます。

五馬山の五馬媛 (いつまひめ)もまた、大和朝廷に抵抗する土蜘蛛であったとされていますが、日田郡中川村の赤岩鉱山を持っていたから、または五馬が日田郡南部金山地帯の入口に当たる場所であったからではないかと推測します。


日本にはいくつか金山があり、古代はそれを外部には秘密にしていました。古代から金銀を採掘していたことが明らかなのは出雲だけです。(石見銀山は古代には地上に銀色の銀の山がそびえており、1526年、博多商人神谷寿禎に見つけられました。)

金の鉱床を多数もつ日田の古代に、豊かな王国があったとしても不思議ではありません。むしろ自然なことと思えます。








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